モヤモヤが哲学させる企画

哲学者・芸術家たちからの激励(その1)

モヤモヤが哲学させる 第3回

みなさん、「モヤモヤ」の間へようこそ。
大歓迎です。慌てることなく、みなさんのペースでこの時間を楽しんでください。

さて、第一回で「不安定・不確実・複雑・不明瞭だからこそ、思考が可能になる。突き詰めれば、これらこそ思考の条件」とお伝えしました。そうなのです。「不安定」「不確実」「複雑」「不明瞭」、これらの「モヤモヤ」を欠いて、思考は成り立ちません。しかし、現状はどうでしょう? 学校や仕事場で重宝されている思考力とは、たくさんのワナが仕掛けられているけど答えがある問題を解くことになってしまっていませんか?

これは思考を誤解しています。こんな姿勢でいる人たちは、とにかく「不安定」「不確実」「複雑」「不明瞭」を嫌います。しかし、これからの時代は「不安定」「不確実」「複雑」「不明瞭」が襲ってくる。そんな予感がして、ブルブル震えてしまうのです。でも、そもそも未来って「なにかわからないことが先にある」ことですよね?

本来的な思考をする人たちは、「不安定」「不確実」「複雑」「不明瞭」にワクワクします。「わからない」から逃げなかったからこそ、「わかった!」時に、感動が生まれるのです。

さて、「不安定」「不確実」「複雑」「不明瞭」を嫌う人たちは、哲学的にも大きな誤解をしています。この誤解には四つの柱があります。

「安定」「所有」「自由」「意味」です。

この概念たちは、それぞれが「不安定」「不確実」「複雑」「不明瞭」に対応しています。

「不安定」は「安定」、「不確実」は「所有」、「複雑」は「自由」、「不明瞭」は「意味」に対応しています。

それぞれの概念は、僕たちをジョイフルでユーモラスな散策へと導いてくれます。しかし、いきなり手を引っ張っていくことは、無謀です。散策ですから、君自身が、君の足と目で進まなければなりません。そこで今回は、「安定」「所有」「自由」「意味」のうち、「安定」と「自由」について、歴史に名を残した偉大や哲学者や芸術家たちに助太刀してもらいながら、この先に待つ散策へワクワクしてもらいましょう。残り二つ「所有」と「意味」に関する哲学者のエールは、第四回で紹介しますね。

思考は辛苦などモノともしない冒険

まずは、アンリ・ベルクソンです。

20世紀を代表する哲学者、ベルクソン。西洋哲学の伝統と言える二元論に挑み続け、そんな伝統的な哲学世界を覆しました。この偉大な哲学者は、ノーベル文学賞を受賞しました。

ベルクソンが『道徳と宗教の二源泉』という本で、知性と創造について、こんなことを書いています。

二種類の知性がある。単に知性でしかない知性と、独自のエモーションの火で鍛えられた知性がある。前者では、精神は材料を常識で鍛えただけ、言葉の鋳型のままに結びあわせただけで、この作品は社会から凝固された状態で与えられるものでしかない。後者の場合には、知性の材料は溶かされた状態にあり、後になって初めて顕在化する。精神自身から生気を受けている趣がある。しかし、この場合には、努力は辛苦に満ち、成果を収めるには冒険がいる。しかし、精神が自身を創造する者と感じ、また信じうるのは、この場合に限られる

道徳と宗教の二源泉

「知性の材料は溶かされた状態にあり、後になって初めて顕在化する」、ここが肝心ですね。思考「意味」が認められるのは、「後になって初めて」です。

すでに設定された「意味」に合わせたものを問題とすることもできますよね。でも、それでは楽しくありません。君でなくてもだれにでもできることになってしまいます。

でも、僕たちはこの「後になって」がとても苦手です。というか、そんな状態、不安で耐えられなくなってしまうでしょう。「後っていつ?」「認められないままになってしまうのでは?」、こんな不安は尽きません。だから、型通りの方が安心なんです。

さて、型通りのコピーであることも、このご時世、必要なことでしょう。しかし、もしあなたが、コピーではなくオリジナルでありたいと望むのなら、機械ではなく人間として力を発揮したい、創造をしていきたちと覚悟するのなら、ベルクソンのメッセージがハートに刺さるのではないでしょうか。

「努力は辛苦に満ち、成果を収めるには冒険がいる」

思考は冒険なんです。辛苦などモノともしない冒険をしてみませんか?

自由は思考の基盤となるコンセプト

次は、フランスが生んだ時代の寵児、サルトルです。

ジャン=ポール・サルトルといえば、ボーヴォワールとの契約結婚が知られているでしょう。お互いに自由な恋愛を許すという、制度に縛られないパートナーシップを二人は築こうとしました。ボーヴォワールもまた、サルトルに引けを取らない大哲学者。二人ともに、実存の哲学を牽引するリーダーでもありました。そしてこのサルトル、ノーベル賞を辞退した最初の人物でもあります。

サルトル最大のテーマの一つが「自由」です。そして「自由」は、「思考」の基盤ともなるコンセプトなのです。『ボードレール』から引用しましょう。

自由が目もくらむものになるためには、自由は無限に間違ったものであるという立場に立たなくてはならない。こうして初めて、自由は、全てが善にはめ込まれている世界の中で、唯一のものとなる。こうして、自らの自由を断罪するものは、真に偉大な孤独を獲得することになる。彼は創造者となる

ボードレール

「創造者は自らの自由を断罪する者である」「創造者は真に偉大な孤独者である」、こんなメッセージですが、これは創造を特別扱いするものとして読まない方が良いでしょう。

「善」という価値基準は大切。確かしそうです。なのですが、同時に、わたしたちの思考を錆びつかせ、腐らせてしまうものでもあります。もし、あらゆる行為が「善悪」で判断されたら?もし、思考が全て「善い」ものでなければならないとしたら?それは思考でしょうか?

この世にあるもの全ては、社会にとって善いもの、役に立つものでなければならない。「全てが善にはめ込まれている世界」は、このような圧力をかけてきます。複雑を嫌い、単純なフレームに入ることを要求してくるのです。どうやら、同調圧力は、日本に限ったことではないようですね。

でも、僕たちは自由なんです。この圧力から逃れられる自由人は、己の行動を罪として認識するでしょう。しかし、抑圧的なキャリアやフレームワークを外れてようやく、自由な思考は可能になります。まずはこの、同調圧力から自由になる考える姿勢を身につけてみましょう。

これから僕たちは、AIと共存していかなければなりません。共存ですから、決してAIを敵にしてはいけません。友達にしていきたいところですが、少なくとも仲間でなければなりません。でも、世間のメッセージを見てください。AIが人間を脅かす、なんてプレッシャーをかけていませんか?

でも、こんな時代になるからこそ、ようやく、僕たちは人間的な思考へと解放されるのです。ようやく、なんです。思考とは、行為であり、人生なのです。

あらかじめ用意されたパターンや操作手順も必要かもしれません。しかし、もし、あなたがその型を破ろうとするなら?今こそ、思考の兆しが見えてきました。

哲学者や芸術家たちは、わたしたちを奮起させてくれます。思考とは、冒険であり、種の罪である

ワクワクと胸を踊らせるような気持ちになりませんか?すでにもう、君自身のオリジナルの思考へと開かれたかもしれません。でも、もうちょっと待って。次の回で、「所有」と「意味」に関する哲学者たちからの激励を、もう一度聞いておきましょう。

(大竹稽)

ツッコミ!日本むかし話

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