麻布十番キャット三銃士

12 猫とハイヒールでピアノコンサート(前編)

麻布十番キャット三銃士~第12回

来週、麻布十番でピアノコンサートが開かれます。演奏するピアニストは美里丸美茶(みさとまる・みーちゃ)という美人ピアニストで、『猫とハイヒール』という曲がヒット曲として知られています。愛猫家としても知られていますが、いつも奇抜なハイヒールで現れることからハイヒールのピアニストとも呼ばれています。そして嘘はつけない、つかない、つかせないの三拍子をモットーに、お世辞の一つも言わないことは有名です。

今回のコンサートは、文藝家・渋部龍也(しぶべ・たつや)の発表した歌劇『ルイの暴言』より「三匹の猫」という曲が初めてお披露目されることになっているのです。この曲は、ピアノの三つあるペダルを全て使うという難解な曲で専門家の間でもどんな曲になるのかが注目されています。

さて、この渋部龍也は右脳アキラ先生のお友達で、今日はその打ち合わせに先生の事務所に来ていました。そこに美里丸美茶さんも来ることになっていて、商店街は少し浮き足立っているようです。それが証拠に、商店街の会長さんと出版社の編集者は事務所の前で、到着の一時間も前から待っているのですから。

ファッジも会長さんに誘われて一緒に待っています。ピアノコンサートの会場設備のことやら広報のことなどを頼まれていたからです。会長さんは編集者の人と事務所の前の道端で名刺交換をしながら、ファッジのことも紹介しています。

「こちらの若者はファッジちゃんで、ひょうこ先生のご親戚です。アメリカの大学生なのですが社会勉強のために来日しているのです」

「そうですか、お世話になってます、港南社の新井です」

ファッジも名刺を受け取りました。名刺をもらうことは人間に姿を変えてもからも、初めてのことです。

「美里丸さん、この場所がわかるかな。きみちゃん公園の近くとはいえ分かりにくいのではないかと思って、私はこうしてお迎えに出ているわけでして」

「右脳先生の事務所には以前にもいらしたことがあると聞きますので、場所を間違えることはないかと、むしろ私は一階のエントランスに上がるまでの階段が心配でこうしてお迎えにあがっているわけです」

二人は自分が一番先に会いたいという事を隠しつつ、迎えに出ている理由を無理やりつけているようです。一方、事務所では右脳先生が渋部との久しぶりの再会に話に花を咲かせていました。

「渋部ちゃん、また訴えられて裁判してるんだって」

「いろいろ周りがうるさくてね、今は裁判と執筆が半々かな」

「問題作ばかり出すからなんじゃないの、少し静かにしていればいいのに」

「作家としては訴えられてなんぼだと思っているよ、ウアッハッハ」

「ウアッハッハって笑っている場合じゃないだろ」

「それにしても、私のハイヒールちゃんは、まだ来ないのかな」

「美里丸さんは僕の知り合いでもあるんだからね、そういう言い方はしないでよ」

「外で、港南社の新井くんに待ってもらっているのだが」

そんな会話をしているうちに、ピアニストの美里丸さんが到着しました。会長と編集者は、美里丸さんを事務所まで我先にと案内すると、満足したように顔を見合わせました。

「やはり美しい方でしたね」

「ハイヒールをご覧になりましたか、ハッとする色合いですよね」

右脳アキラ事務所では、コンサートの舞台装飾を担当する右脳先生が、最後の確認をしていました。小一時間ほどの打ち合わせが終わると、美里丸さんはまた一階のエントランスに戻り、外階段を降り始めました。しかしその時ハイヒールの踵が折れてしまったのです。美里丸さんは可哀想に階段を何段か滑り落ちてしまいました。

編集の新井さんと会長さんが階段で騒いでいる声を聴いて、右脳先生と渋部もやって来て、もっと大騒ぎになります。救急車が呼ばれて美里丸さんは病院に運ばれて行きました。誰もいなくなった階段に落ちているハイヒールの踵を拾い上げ、茫然と立ち尽くす渋部龍也にファッジが、後ろから声をかけました。

「ピアノって何かご存知ですか」

「お嬢さん、僕もその意味が知りたいと思っていたところなんだよ、この手の中にある小さな踵が本当はピアノだっていうことに僕は気が付かなかったんだ」

「それは靴の踵で、ピアノではないと思いますよ」

「音を奏でるという意味ではピアノだと言えるよ、文学的には」

「そうなんですか、でもその解釈は間違っているような気がするな」

渋部龍也はファッジの顔をしげしげと見て一筋の涙を流しました。渋部はその後、心を痛めて寝込んでしまいましたが、商店街ではコンサートが中止になるのかどうかで一悶着となっていました。

幸い美里丸さんは骨折には至らず捻挫ということでなんとか歩くことはできそうです。しかし、今回発表する曲では三つのペダルを使わなくてはなりません。捻挫した足ではペダル捌きが完璧にはできないのでコンサートはできないというのです。

「手が大丈夫なら、ピアノは弾けるのに」
会長さんは中止にしたくないので不満です。

「美里丸さんはとてもストイックなので全てのパフォーマンスを出し切れる状態でなくては、ピアノは弾けないと言っています」
新井さんが、こう伝えました。

「まあそう言っても、商店街の人たちも楽しみにしていたことだし、みんな音楽は素人みたいなもんだから100%でなくても、全然問題ないと思うよ」

「そういういい加減な考え方を美里丸さんはしないんです。ストイックなんですから。中止はコンサートをバックアップする港南社としても痛いところですが、ご本人の意思も尊重して」

「あんた、企画したこちらの身にもなってごらんよ、どうするんだよ、会場のことや舞台装置まで揃えて、赤字になるんだよ。うちはあんたの会社みたいに金に余裕があるわけじゃないんだ」

「まあまあ、落ち着いてください会長さん。私にいい考えがあります」
ファッジが興奮する会長を宥めるようにいいました。

「本当かいファッジちゃん、中止だけはどうしても避けたいんだよ」

「私が代わりに弾きましょうか」

「うん、それでもいいよ、みんな素人だからわかりっこないよ」

「何言ってるんです、わからないわけないでしょ」

新井さんは、ファッジよりも目を丸くして言いました。

「要はペダルが踏めないということですよね、代わりに踏んでくれる人がいればいいのではないですか」

「違う人が隣で踏んでたら、ものすごくへんですよ」

「ペダルを踏めるのは人間だけではありません」

ファッジが何やら意味ありげに断言したので、会長さんと新井さんは声を揃えて言いました。
「何のことやら、さっぱりわからないけど、よろしくお願いします」(後編へつづく)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

(南部和也)

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