09 サンドリヨン、銀座で寿司を爆食
麻布十番キャット三銃士~第9回
サンドリヨンは、食欲が爆発することがあります。猫の時にも三匹で食べるときにサンドリヨンの爆食が始まるとパンプキンとファッジはその迫力に食べるのをやめてしまうのです。そしてサンドリヨンは、自分の分を食べてしまうとさっさと二人の分まで食べてしまうのでした。
サンドリヨンがファッションブランドのツーク(29)のイメージ撮影をピエール青山としています。専属モデルとしての初仕事なのです。朝から始まった撮影は夕方まで続きサンドリヨンはとてもお腹が減っていました。
「サンドリヨン様、本日は本当にお疲れ様でした。この後銀座のお寿司屋を予約してあります。有名店なので予約を取るのも至難の業でしたが、何のこれしき貴方様のためなら労は惜しみますまい」
ピエール青山は、変な日本語でサンドリヨンを誘いました。
「私お寿司は知らないので」
「お寿司をご存知ないと。なるほどアメリカのお生まれで、お育ちなので本当のお寿司を食べたことがないというわけですね。それならこれからお連れする店は正真正銘本当の本物の寿司屋でございます」
「正真正銘本当の本物」
「そうでございますが」
「それって、早口熟語」
「いえいえ、そういうことではなくお寿司は食べ物です。これからお食事にお連れするという意味でございます」
「食べるものなら食べます」
そんなこんなで、お寿司を食べたことのないサンドリヨンは寿司屋に行くことになりました。
*
銀座のお寿司屋は、世界的な超有名店で「寿司太郎」という名前です。ミシュランもその美味さに星のつけようのないということで、星五個ではなく新たに大きなご飯粒を一つだけ燦然と輝かせるという処置をするほどのお店でした。
お店はカウンターだけで店主は伝説の寿司職人と呼ばれる北里三郎です。
サンドリヨンがカウンター席に座ると、周りは文化人や芸能人たちがすでにお寿司をご満悦な様子で食べています。ピエール青山はその人たちに挨拶して回ると、自分もサンドリヨンの隣に座りました。
サンドリヨンはお店に入って来た時から、ものすごい美のオーラを放っていて、お客も寿司職人たちも一斉に注目していました。
女優じゃないし、ファッションデザイナーのピエールと来ているのだからモデルかもしれない、それもかなり有名なモデルに違いないとみんな思っていました、でもどうしても思い出せません。あまり繁々見たり詮索するような仕草をしては恥ずかしいので、知りたい気持ちを抑えて我慢していました。
サンドリヨンに、伝説の寿司職人の北里三郎は言いました。
「お任せでよろしいですね」
サンドリヨンは北里の目をまっすぐに見て、何も言いませんでした。お任せの意味がわからなかったのです。
横からすかさずピエールが言いました。
「大将、お任せでお願いします」
「そちらのお嬢さんも、よろしいですね」
北里はもう一度サンドリヨンに聞きます。
「お寿司をください」
サンドリヨンがそう答えると、聞き耳を立てていた他のお客たちはいよいよ心がざわめきました。突然現れた謎の美女が、伝説の寿司職人北里三郎と禅問答みたいな会話をしている。
次に一体何が起きるのか、お客たちの間に一種、言葉に表せない緊張感が走ります。
サンドリヨンからの、ただならぬ気配を感じた寿司職人北里三郎は、黙ってサンドリヨンの前に赤身のマグロを握って置きました。
お寿司をくださいとだけ言ったサンドリヨンに、寿司職人としてこれが寿司だという渾身の赤身を出したわけです。
ネタとシャリだけで勝負しているのでワサビは入っていません。後に、このカウンター席に編集者と座っていた歴史小説家の芝刈太郎は雑誌のインタビューで「それは巌流島の対決を見ているかのようだった」と語っています。
お寿司を見ていたサンドリヨンは、ネタの赤身だけを剥がして食べると、シャリの方は隣のピエールの前に置きました。
これには寿司職人北里も一瞬驚いたような仕草をしましたが、動じる事もなく今度はピエールの顔をじっと見ます。お客も全員ピエールに注目しました。
ピエールは緊張した面持ちで周りを見渡すと決心したような表情で、目の前のお寿司のシャリだけを口に入れました。お店全体にはさらにピリピリした雰囲気が漂います。
職人北里がサンドリヨンに聞きました。
「お嬢さん、北里三郎の寿司、食べていただけましたか」
「美味しかったわ、もう一つください」
「へい」
北里はそう答えるとまた赤身を握ってサンドリヨンの前に出します。
サンドリヨンは同じようにネタの赤身だけ食べてシャリをピエールの前に置きました。
ピエールはそれを食べます。
寿司を握ります。
ネタだけ食べます。
シャリだけ食べます。
サンドリヨンからは、美しさのオーラに混じって食欲のオーラが出て来ました。爆食モードになってしまったのです。
伝説の寿司職人北里三郎にも今起こっている事は初めての経験ですし、この対決の行方がどうなるのかは誰にもわかりません。三人の流れるような仕草が店内の空気をより澄んだものに変えていくようです。
サンドリヨンが八十個目の赤みを食べたところでピエールの表情から何かの限界を迎えている人の苦しみが見えて来ました。寿司職人北里に向ける目は「大将、もう握らないで」と言っています。
北里にもその気持ちは通じてきますが、お客と職人の一対一の対決なので引くわけにはいきません。
しかし、九十個目の赤身を握ったあと、北里は燃え尽きたように言いました。
「お嬢さん、赤身はこれで最後になってしまいました。寿司太郎にある赤身はもう一切れもないんでさぁ」
「美味しかったです。お腹がいっぱいよ」
サンドリヨンが言うと、伝説の職人北里三郎は、ほっとした表情になり
「あっしは、」とだけ言うとに漬け場を去ってゆきました。
ピエール青山は、もう動く事もできずカウンター席に倒れ込んでいます。
*
大満足でお家に帰ってきたサンドリヨンは、ひょうこ先生に言いました。
「ビニールさんとお寿司を食べてきたのよ」
「そうなの、どこに行ってきたの」
「銀座の寿司太郎」
「サンちゃん変なにおいがする」
ファッジが匂いを嗅ぎ回ると言いました。
「お酢のにおいがするのよ、そのお店多分すごく高いと思うけど」
「ビニールさんが、平気だって。でも五十万円ぐらいだったよ」
サンドリヨンは言いました。
次の日の朝にテレビのワイドショーで料理評論家の平野らみが、
「昨夜ある寿司屋でわんこそばにも似たエンターティメント性の高い、新しい寿司文化の誕生を見た」
とコメントしました。
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