PICK UPデザイン

アノニマスデザインとは何か

皆さんは「アノニマスデザイン」と言う言葉、聞いたことありますか?

あまり聞き慣れない言葉ですよね。日常生活で使わない言葉だと思います。アノニマスデザインとは長い歴史の中で様々な人々の工夫によって作者不詳のまま発展してきたデザインのことで、誰がデザインしたとか、ブランドとか謳っていないデザインと言えます。

美的にどうこうと言うよりも、実用性の観点から、一つ一つのフォルムまで自然淘汰され機能性に満ちたデザイン、で言い方を変えれば、長い年月をかけて沢山の無名の人達によって機能性が追求された結果たどりつける、ある意味「究極のデザイン」と言えるわけです。

「ピッケル」のデザインから「アノニマスデザイン」を読み解くと

抽象的な言葉ばかりでもわかりづらいかもしれませんから、もう少し具体的な事象からご説明しますね。
例えば、登山の時に使う「ピッケル」などを例にご説明していきましょう。もちろん、ピッケルにも色々なデザインはあります。

これだって、シャフト(柄)の曲がり方が大きいモノや真っ直ぐに近いモノ、色々とありますね。またブレードと呼ばれる返しのような箇所の角度、大きさもそれぞれ少しづつ違います。

でも基本のデザインやカタチは同じですよね。ピッケルの上部に穴が空いているのも紐を通すのに必要だからで飾りのために空けられているわけではありません。あまり滑らず使えるシャフトの形、片手でも雪面に突き刺せる石突き、氷壁にも足場をきちんと確保できるピック、それらを何か一つ大幅に変えたり、加えたり、省くことも出来ないはずです。

ピッケルのフォルムや素材は、特定の会社の専属デザイナーが独自にデザインして突然出来たモノではありません。長い年月を経て、相応しくないフォルム・デザインが自然淘汰されて来た結果出来上がったデザインです。

どこかの新進気鋭のデザイナーが、「格好良い」からと機能性を無視して先を尖らせたフォルムにするとか、そういう事は許されない訳です。クライマーの命に直接関わる事でもあるので、何がしかの変更が加えられるにしても、相当吟味され考え抜かれたフォルムでなければならないはずです。

一番使いやすく、クライマーの命を支えるのに最高の形に、長い年月を経て自然淘汰されていく、これこそ典型的なアノニマスデザインです。つまりは、誰かがデザインするわけでなく人類全員の集合意識の総意で、デザインが作られていくとも言えるわけで。ある意味、デザインの理想型で、機能的デザインの行き着く最高のデザインそんな風にも言えるかもしれません。

機能的デザインの到達点=アノニマスデザイン

他にも、今では見る事がなくなったかもしれませんが、「そろばん」などもそうですね。どこかの誰かのデザインという事ではなく、弾きやすい形に自然淘汰されていったと言います。はじきやすいカタチやフォルムは自然に決まってくるように思いますし、それこそ機能性デザインの一番理想的なゴールのように思います。

このことは、デザインにとって、とっても大切なものを含んでいます。アノニマスデザインの要素はその他、色々なプロダクツの中に垣間見えます。例えば車のハンドルのデザイン、デザイナーが勝手に格好良い独自のデザインだけを追求したらどうなるか?とても危ないことになってきますね。自然に決まって来たフォルムってあるはずです。

他にも身近なところでは、例えば文房具のクリップのデザインはどうでしょう?「いや、でも最近動物のカタチをした、可愛いデザインのクリップもあるよ」そう指摘される方もいるでしょう。

しかし、それもよく見るとクリップの基本形は崩さないカタチを維持した上で、そこに付け足すカタチで(装飾として)動物のカタチを付け加えているだけだったりします。あるいは機能性を多少犠牲にして他のクリップとの違いを打ち出そうとしているのかもしれません。当然そのターゲット層以外、例えば女子高生達に受けが良くてもクリップを使いたいだけのおじいさんには使いにくいだけのモノとなります。そしてそうなってしまった場合、そのクリップは「クリップみたいなもの」でしかないのかもしれないですが、

アノニマスデザインとは、機能性や人間工学、そういうモノにも深く関係していますし、デザイナーの個性や、もっと言えば「オレがデザインしましたよ!」という『エゴ』のようなものを許さない重みがあります。「アノニマスデザイン」という言葉は知らないでもこの部分を深く考えた人とそうでない人では、デザインに対する考え方は全く違って来るのではないでしょうか?

「アノニマスデザイン」は完成されていて
デザイナーが新たに工夫する余地はないのか?

しかしここまで書いて何ですが、では、プロダクツデザインのフォルムは、「時間」というデザイナーの手によってしか、完成し得ないものなのか?一度一つの到達点を迎えたなら、デザイナーの出る幕はない?工夫する部分はゼロになるのでしょうか?それはまたそれで違いますよね。

自然淘汰されていく、結果的に機能性が追求された機能的に究極的なデザインは常に意識するにせよ、デザイナーが主体的に、そこに関わっていく勇気、本当の使い易さを真正面から考えて変えていく勇気も忘れてはいけません。そういう発想がなければ、それはそれで進歩もないのではないでしょうか?またそういうデザイナーの「より良くしていきたい」という想いが結果的にアノニマスデザインをもより良く変えていく場合もあるのです。

少しお話が抽象的になってきたかもしれませんが、ここの部分は、デザインについてとっても大切な所ですね。是非わかってもらいたいですので、また具体例を出しながらご説明しますね。

毎年少しづつ変わっていく「ほぼ日手帳」

皆さんは「ほぼ日手帳」という手帳をご存知でしょうか?

ほぼ日刊イトイ新聞から生まれた、大ヒット商品の手帳で、文庫本サイズの1日1ページが基本形で、今は一週間見開きのものとか色々なタイプのものが発売されてます。実は僕はもう10年くらい、この手帳を使わせてもらっているのですが、かなり使い易くて、もはや、手放せなくなっています。

この手帳、基本的なデザインはそのままに、でもほとんど毎年、微調整を繰り返し少しづつ変わっていってます。カバーのデザイン(具体的にはカード入れのところとか)方眼のサイズをミリ単位で変えたりしている所、

引用元:ほぼ日刊糸井新聞

この方眼サイズのサイズの微調整は、ミリ単位でサイズを変えて、ユーザーの意見をネットでアンケートして、また調整、みたいな事をしていて、凄いな~と思います。

アノニマスデザインという意味で、時間をかけて決まって来るところを、積極的に、でも出しゃばらないように、糸井さんや(ほぼ日スタッフ)デザイナーの方が、毎年少しづつ変えていっているんですよね。変わらないけど変えていく、この姿勢がとても面白くて素晴らしいし、デザインする上でとてもセンスの良い事をされている。そんな風に感じるんですね。

永久の未完成、これ完成である

「アノニマスデザイン」という言葉自体、はあまり知られていませんし、ポピュラーではないでしょう。しかし「アノニマスデザイン」と言う言葉に込められた機能性デザインの本質的な意味、デザインはとは誰かひとりのデザイナーのエゴを満足させる為にするものではない。本当の意味での使い易さを追求することが大切であり、時間によって自然淘汰されたフォルムには永井時間かけただけの意味があり、その深さからデザイナーは目を逸らしてはいけない。この事を忘れてはいけないでしょう。

その上で、デザイナーである以上は、それを超えてさらに良く出来ないか、日々追求していく勇気も同時に持っているべきでしょう。その工夫がアノニマスデザインを更なる高みに押し上げていく事になるかもしれないからです。

「永久の未完成これ完成である」

宮沢賢治が100年以上前に宣言した有名な言葉ですが、まさにこの言葉の通り、私たちデザイナーが完成を夢見ながらそこに向かって走る、努力していく事、それらかけがえのない未完成のプロセスの中にこそ完成の種が見つかるのかもしれません。

「アノニマスデザイン」と言う一見マイナーな言葉の中には、デザインをする、ものを作ることの本質的な意味が内包されていると思います。

最後まで読んで頂き、ありがとう御座いました。

(カマタ・タカシ)

センスがないと思っている人のための読むデザイン

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